当事者たちが覆した障害を武器にする生き方

最近、障害を持たれた方々の活躍がニュースなどでよく目に留まる。

とても素晴らしい事だが、これって一昔前は考えられないことではないだろうか?

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と、いうのは、障害者とは守られる存在であり社会全体で支える方々。そんな空気が世間の認識の大半だった気がするからだ。

それが日本において変わってきたのが、乙武洋匡氏の活躍。

乙武氏は先天性四肢切断という「生まれつき手と足がない」状態で生まれたが、「障害は不便です。だけど、不幸ではありません。」という座右の銘を大切にし、自分にしかできないことを追求してきた。

その結果、メディアにもコメンテーターなどで出演される事が多くなったわけだが、これがとても大きい。

以下は、7年前のニュース記事だが、女子プロレスの前座で行われていた小人プロレスに関する記事である。これを読むと特定の人々に社会的弱者のレッテルを張り、ひとまとめにして過度に守ろうとする行為は、彼らの生きぬく力や居場所を奪っていることがわかるのではないだろうか。

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障害を持った方々の活躍を、腫れものを扱うかの如くタブー視することこそ問題であり、ありのままに伝えられる下地がメディアにできてきたというのは歓迎すべき事だ。

そして、当事者の方々がさまざまな形で自分の想いを表現し、生きていこうと行動を起こす事は最高のリハビリテーションになるだろう。

ただ、気をつけなければならないのは、障害を持たれている方、全員がそういった強さを持っているわけではない。

一律に「こうやって頑張っていくべきだ!」「この方々のようにあなたも頑張れ!」と、煽りたてるのはそれはそれで危うい。それこそ個人を無視し「障害者とはこうあるもの」とひとまとめにしていた時代と同じである。

個人を認め、それぞれがやりたいと思う事を応援できる世の中になればそれでいい。

当事者たちの気持ちを無視し、世間による「決めつけられた生き方」というエゴを押しつける時代は彼らによって覆されたのだから。